終閉山と離職者の集中的発生による雇用の不安定、産炭地域の疲弊は著しいものがあつた。さらに昭和三七年一〇月は原油の輸入自由化が実施されたことにより、石炭をめぐる環境はいよいよ厳しさを増した。政府は、これに対して、三七年四月六日の閣議決定「石炭対策について」により、石炭対策の基本的方向づけについて石炭鉱業調査団(団長有沢広巳氏)に調査検討を委ねた。3 石炭鉱業調査団は、同年一〇月内閣総理大臣に答申(いわゆる第一次石炭鉱業調査団答申)を行なつたが、その答申の内容は、石炭の経済性の回復が困難であることを明らかにするとともに、需給、雇用、企業経理、地域経済の四つの主要見地から石炭問題の総合的な解決を図ろうとするものであつた。すなわち、昭和四二年度を目標年度として石炭鉱業の自立と安定を達成し、国民経済の均衡あを)発展を図るため、電力、鉄鋼等の大口需要を中心として五、五〇〇万トンの出炭規模に見合う需要を安定的に確保するとともに、大規模なス(ママクラツプ・アンド・ビルドの実施により石炭鉱業の生産体制を確立することとし、これに伴い発生する炭鉱離職者、産炭地域の疲弊等に対しては必要な助成措置を講じようとするものであつた. 三七年一一月閣議において石炭対策の大綱を決定した。その後の石炭対策(いわゆる第一次石炭対策)はこの大綱の具体化という形で進められ、石炭鉱業の合理化整備、生産性の向上に著しい成果をあげたが、予想外の離山ムードの拡大、計画以上の合理化整備費用の負担、資材等の値上り、さらにはビルドの相対的遅れ等によつて、石炭鉱業の自立の見通しは困難なものとなつた。4 審議会により第二次石炭鉱業調査団が編成され、一二月一六日の同調査団の答申を受けて、炭価の引上げ(一般炭三〇〇円、原料炭二〇〇円)、原重油関税の二年据置き利子補給制度の創設等、企業収支の改善対策政府は、この答申に基づき、その基調の上にたつてこのような状況にかんがみ、三九年八月、石炭鉱業788第8章 鉱業・エネルギー【鉱業】
元のページ ../index.html#802