北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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その後、昭和四八年秋以来のエネルギー危機の結果、資源の少ない我国はエネルギー源の多様化と国家的安全保障の必要性から、国産唯一のエネルギーである石炭をより安価に、より安全に生産する技術の開発が強く要請されることになりました。このような情勢下において急傾斜炭層の炭鉱は機械化が難しく、人力を主とした発破とピックによる採炭法が中心であり、高度の生産技術の開発がみられなかったのであります。その中にあって三井砂川炭鉱は、ソ連で開発された水力採炭法を昭和三〇年代後半から導入して、同炭鉱の自然条件に適合した採炭法に改良し、昭和三九年から水力による出炭を開始しました。爾来、逐次独自の技術改善を行なって、急傾斜炭層における水力採炭技術を確立したのであります。更に三井砂川炭鉱の水力採炭技術は、我国ばかりでなく、広く海外からも注目され、カナダのバルマー炭鉱の開発に際してはこの技術が採用され、同炭鉱から技術者派遣を要請され、三井砂川炭鉱はこれを受けて設計から実施に至る迄の技術指導を行いました。その結果、バルマー炭鉱は開鉱以来非常に高能率の実績をあげており、今や、この三井砂川炭鉱の水力採炭技術は、世界的な急傾斜炭層の採炭技術として世界各国から注目を浴び、将来の石炭資源の開発に大きな役割を果たすことを期待されております。現在、道内の工業高校は公立の単置校一七、普通科や道内高校の採炭科教育〈一九一六~七五年〉まえがき(慶應義塾図書館所蔵 北海道教育庁学校教育部高等学校課『北海道の高等学校における採鉱科教育の沿革史』COAL@P@一二二三)一九八〇年① 炭鉱の技術教育796       11 第8章 鉱業・エネルギー【鉱業】

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