北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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職業科と併置されている工業科八校、通信制の工業科一校の合計二六校であり、その他私立の工業科は三校あります。これらの工業高校の創設は、時代の要請とそれぞれの地域の産業に深いかかわり合いをもって学科がもうけられ、現在設置されている小学科も廃科や転科の変遷を経て今日の学科構成になっており、その中で採鉱科という学科については全く影をひそめ、現在夕張工業高校に地質工学科という名称でただ一つ残っているだけです。もともと採鉱科は、本道工業教育の草分けともいってよい学科で、大正五年一〇月現在の札幌工業高校が札幌工芸学校として認可され、採鉱科一二〇名、機械科九〇名、木工科六〇名をもって開校することになったのが本道の工業教育の始まりであります。又私立では大正九年北海道炭砿汽船株式会社が私立の工業学校として採鉱科を創立し、途中業界不振の影響もあって昭和一一年一度は閉鎖しましたが、昭和一八年に再開して現在に至っているので、歴史的には一番古い学科とされています。しかし一口に採鉱科といっても金属鉱山対象の採鉱科(秋田や東北の採鉱科)と九州、北海道にみられる石炭鉱山対象の採鉱科に分けられます。したがって、戦時中の石炭増産時代、戦後の復興と石炭確保が国策としてとりあげられた時代は、本道の採鉱科一一校を数えるまでになり、採鉱科が工業高校に設置されているのは当然の事で、特異な学科でもなく、又希少学科といわれることもありませんでした。このように本道の採鉱科が石炭鉱業と深い関係をもっていたために、石炭エネルギーが石油に転換されたという時代の変遷に遭遇し、志願者数の減少と産業構造の変化もあって学科転換や廃科の途をたどり、現在では夕張工業高校が僅かにその火をともしているのみです。高等学校における採鉱科の推移は以上のようですが、   道内には大手の炭鉱が独自に設けた炭鉱技術者の養成所がありました。この養成所は中学校を卒業した者を入所させ、教育内容もほぼ高校に準じており、とくに採炭法、掘進法、電気機械などの技術教育には力を入れて、更に797第2節 採炭技術と炭鉱災害

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