北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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に対抗できないということは、今や決定的である」との判断を下した。これ以降、それまでの「競合エネルギーと価格面で競争することを目標とした閉山合理化政策」から、「石炭が重油に対抗できないことを認めつつ、石炭鉱業の崩壊がもたらす社会的摩擦の回避等に注目した幅広い政策」へと転換が図られたのである。この方針のもと、三十七年に第一次、三十九年に第二次、四十一年に第三次、四十三年には第四次の石炭政策が出され、生産規模の緩やかな縮小均衡と石炭会社の経理改善支援を基調とした対策がとられた。産炭地にある当社と九州電力(積地電力)では、三十年代後半に入っても石炭は石油に比べてまだ若干割安であったが、それ以外の七電力(揚地電力)では完全に割高となり、重油ボイラー設置規制法に例外事項が認められるようになった三十五年以降、新設火力は順次重油専焼火力となり、三十九年度には全国で石油火力発電出力が石炭火力発電出力を上回る、油主炭従時代を迎えた。そして、四十年には、経営改善の進まない石炭業界がついにトン当たり三〇〇円の値上げを提示した。政府は政策に協力して行った石炭の増加引き取り分に対する負担軽減策として、電力・鉄鋼業界に対し原重油関税の特別還付を行ったが、国内炭のみを燃料としていた当社や当時の九州電力は、これを受けられず、値上げは原価に直接大きく影響することとなった。そこで、通産省と電力業界で協議の末、トン当たり北海道電力は五〇円、九州電力は一〇〇円の値上げにとどめ、差額は火力発電所をもたない北陸電力を除く揚地電力六社が分担する炭価調整金制度を導入し、地域事情による負担の解消に取り組んだ。さらに、四十五年度にも値上げ要請があり、当社向け石炭はトン当たり一五〇円値上げされたが、ここでも当社の値上げ負担は半分の七五円とされ、残る半分は炭価調整金で補填された。この間電力業界による石炭引取量は、三十五年には国内炭全生産量の三八%であったが、四十五年には七七%にまで上昇した。なかでも、当社の引取割当量は年々増    843第2節 石炭・石油と環境問題

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