北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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加し、後述する奈井江発電所が運転を開始した四十五年以降は、ついに電力業界最大の石炭引取先となった。しかし、将来にわたる低廉・安定な電力供給を考えた場合、全面的に石炭に頼っていた当社もまた、石油系燃料や原子燃料など、燃料源の多様化を図ることが必須となってきていた。札幌市の対応札幌市は急激な人口増加と都市化が進み、特に都心部に高層ビルが林立してきたため、暖房設備から排出される大気汚染は都心部を中心として、放置できないものになった。札幌市はこの対策として、昭和三七年六月全国に先が都市環境と熱供給事業〈一九六二~六八年〉(北海道立図書館所蔵)『日本熱供給事業協会10年史』一九八四年けて煤煙防止条例を制定したり、家庭暖房に無煙燃料の使用普及を図るなど防止対策を実施してきたが、なお大気汚染は年々深刻になる状況にあった。札幌市の都心部は全市地積の〇・一四%にしか過ぎないが、昭和四一年度の調査によれば、実に全市の約三〇%の暖房施設が密集している地域である。札幌市の、特に都心部の大気汚染防止対策として、地域暖房の必要性については、昭和三三年頃から一部の学識経験者から話題として出されていたが、昭和三八年一二月に北海道大学と札幌市が中心となり、国機関や民間に呼びかけて地域暖房研究会を設けて、地域暖房実現の可能性について研究を続けてきた。昭和三九年七月、札幌市長は札幌市公害対策審議会(会長北海道大学医学部教授安倍三史氏)に対し、都心部における地域暖房の具体策を諮問した。審議会は地域暖房技術小委員会を設け、北海道大学工学部教授斎藤武、堀江悟郎、射場本勘市郎及び北海道寒地建築研究所新田耕一の四氏を委員として調査研究を進めた結果、昭和四道の関係〔2.環境問題の対応〕   •   (2) 84428 第8章 鉱業・エネルギー【エネルギー】

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