北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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2 北本連系が待望の運用スタート北本連系構想の概要は、以下のようなものであった。     大する。① 連系容量は三〇万kW、ただし海底ケーブル・架空送電線は容量六〇万kWとし、将来必要に応じて容量を拡② 送電は直流電圧とし、線間五〇万V(+-二五万V)とする。③ 連系区間は、北海道室蘭地区から亀田半島、津軽海峡、下北半島を経て東北八戸地区にいたる約三八〇㎞とする。④ 連系実施期間は昭和五十二(一九七七)年度からとする。日本で初めての長距離・大電力・超高庄の直流送電技術を採用したほか、海底横断連系としても世界に例北本連系の完成〈一九七九~八二年頃〉北海道電力五〇年史編纂委員会『北のあかりを灯し続けて』二〇〇一年(プラスマイナス)の少ない大プロジェクトであった。量いっぱいまで送電できるなどの長所があったが、必要となる直交交換器の心臓部分である水銀整流器に問題があり、これがネックとなっていた。しかし、電源開発㈱が佐久間試験所で試験に成功していたサイリスタ変換装置の活用が見込めたことで、実現が可能になったのである。どを皮切りに始まったが、四十八年十月の第一次オイルショックにより電力需要の伸びは鈍化傾向となった。とくに、重化学工業の誘致で電力の大消費地となるはずだった苫小牧東部工業基地の開発は、企業の進出中止など大きな影響を受けたため、直流連系区間を北海道・七飯町から青森・上北までの一六七㎞に短縮するなど、計画の見直しが行われた。四年八月には七飯町にある電源開発㈱の函館変換所で直流送電には、在来の交流送電と比較し、電線の容建設主体は電源開発㈱に決定し、工事は通信設備な以後、計画はほぼスケジュールどおりに進み、五十86336 第3節 原子力・天然ガス・再エネの時代

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