北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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は一九〇〇年設立で間もなく一〇〇周年を迎えようとしていた拓銀の破綻は晴天の霹靂であり、地域経済に大きな打撃を与えた。破綻への道はバブル期の一九九〇年に策定された「二一世紀ビジョン」が始まりといわれる。若手の行員と経営コンサルタント会社マッキンゼーが共同で策定し、新たな首都圏での小口貸付強化、国際部門でのアジア重視などの道外事業の強化とともに、「インキュベーター(ふ卵器)路線」を盛り込み、融資拡大に乗り出した。このビジョン推進のために設置されたのが総合開発部であった。資料9は拓銀の職員向け広報誌である『ニューフロンティア』により事業内容を示している。その第一部は道内の「ふ化」させるべき有望五四社を「ゆりかごから天国まで」育て上げるとしている。不良債権で破綻の原因の一つとされるカブトデコムの「エイベックスリゾート洞爺」の名前も出てくる。その第二部は東京本部を拠点として、「事業開発」と「不動産開発」の分野で大胆な進出を図るというものであり、文中の「戦果」は実らなかった。拓銀の破綻に至る経緯については、バブル以前の都市銀行としての位置付け、バブル期における無謀ともいえる新規部門への投融資と不良債権化、リストラによる再建過程とその破綻、破綻後の地域経済への影響など、二〇年余りを経て様々な論点が提示されている。しかし、拓銀をめぐる資料は幾つかあるが、それをもとにした研究は資料の利用制限もあって必ずしも進んだとは言えない。ここでは、資料10として帝国データバンクによる簡潔な記事を掲載している。「当行に対する信用不安からくる格付け低下や株価の低迷に加えて、金融機関の経営破綻の影響を受けて、拓銀総合開発部という部署拓銀の破綻869解 説(2)   (1) 

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