短期金融市場からの資金調達が急速に困難となり、資金繰りが行き詰まる事態に立ち至りました」、というのが破綻の直接的経緯である。株価の下落はアジア通貨危機とも連動していて、この結果が預金の減少となり、運転資金確保のための優良企業からの資金回収が不良債権比率を増大させるという悪循環に陥った。金融機関の経営破綻の影響というのは一一月三日の三洋証券の破綻であり、銀行間の資金のやり繰りであるコールローンがデフォルト(債務不履行)されたことで、拓銀の運転資金の道が閉ざされたのである。詳しくは文末の参考文献なども参照されたい。拓銀の破綻後の対応と北海道経済への影響については、前出と同じ帝国データバンクの記事を資料11に示している。拓銀の本州の事業は一九九八年一一月に中央信託銀行(現三井住友信託銀行)に、道内事業については北洋銀行に譲渡された。この記事には、貸付債権の分類が示されているが、不良債権に分類される破綻懸念先債権と実質破綻先債権は預金保険機構に買い取られ、正常債権は簿価で北洋銀行に引き継がれた。問題の要注意先債権は「割引現在価値法」という新しい会計基準が適用され、七五%が北洋銀行に引き取られ、混乱は最低限に抑えられたと評価されている。拓銀破綻後の信金や信組などの金融機関の統合の様子が示されている。【主な参考文献】斎藤仁『旧北海道拓殖銀行論』日本経済評論社、二〇〇九年(復刻)。小磯修二『戦後北海道開発金融システムの形成過程』北海道開発協会、二〇〇五年。北海道新聞社編『拓銀はなぜ消滅したか』同、一九九九年。同『拓銀敗戦の記録』同、二〇一九年。資料12の北海道の『経済白書』には一九九九年春の段階での北海道の金融状況が記されている。また、資料13には 拓銀破綻の影響と金融体制870第9章 金融・観光・サービス業【金融】(3)
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