北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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絡体制を必要とするという認識が示されている。また、北海道の観光業界の組織化が、むしろ全国に先駆け独自の性格を持って進められたとされている。こうした活動の一環として、資料15のように支笏洞爺国立公園の指定促進が図られた。これは一九三四(昭和九)年に指定された阿寒、大雪の両国立公園に加えて、道央圏住民の利用を想定したものであった。そこではGHQの観光専門家から、アメリカにおける国立公園の理念を反映して、後のエコツーリズムにつながるような発言がなされている。高度経済成長期に入ると、大衆消費社会の到来を反映して観光需要も大きく拡大する。これを受けて道としての施策にも観光が積極的に位置付けられる。まず資料16のように北海道観光審議会が設置され、また資料17、資料18のように北海道総合開発の中に観光が位置付けられた。そこでは観光地としての北海道の特色として、自然景観や動植物などが挙げられているが、これにとどまらず産業、都市、文化などの多様な観光資源の開発を提唱していることも注目される。ともあれ、この時期に北海道が本格的なマスツーリズムの時代に入ったといえるであろう。これに伴い、幾つかの課題も浮かび上がってきた。一つは資料19に示されるように、大規模な観光投資が進められることに伴い自然や文化財が破壊されることへの危惧であり、観光客受け入れのためのインフラの整備の必要性である。もう一つは、北海道で観光投資を進める場合のネックとなるものが季節的な偏りの問題であるとされている。これを指摘している資料14は戦後の北海道観光連盟設立の経緯である。そこでは、観光が経済復興の一翼をなし、業種横断的な指導連復興期の北海道観光高度経済成長期の北海道観光第一節 戦後観光振興の経緯872第9章 金融・観光・サービス業【観光】(2)   (1) 

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