北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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のが資料20であるが、冬季間の観光開発の必要性を強調している。なお資料21のように国際的な観光客の受け入れの展望についても、この時期検討され始めていることが注目される。一九七〇年代の半ばに高度経済成長が曲がり角を迎えると、観光をめぐっても幾つかの特徴が現れてくる。一つは、それまでにもあった視点ではあるが、団体旅行による景観鑑賞や温泉といった従来型の観光から、能動性を伴った心身のリフレッシュという意味でのレクリエーションがより重視されるようになってきたことであり、もう一つは地域ごとにそれぞれの特色を持った観光戦略を重視するようになっていったことである。資料22はニセコ地区における代表的事例であるが、市町村や団体の枠を超えた活動はその後ニセコ地区が国際的リゾートとして飛躍する端緒をなすものであったといえる。また資料23は、当時停滞局面にあった温泉観光に道として対策をうち出したものであり、地域ごとのきめ細かな対応の必要性を強調している。こうした動向を受けて道観光審議会がまとめたものが資料24である。そこでは「金銭消費的なもの」から「時間消費的余暇活動」への志向の変化を指摘しつつ、道内を五つの観光圏域に分けてそれぞれの特徴と可能性を指摘している。一九八〇年代の後半、日本はバブル経済期にさしかかるが、そこでのキーワードは民間活力及び投資・消費両面における内需の拡大であった。その一環として一九八七(昭和六二)年に総合保養地域整備法、いわゆるリゾート法が観光レクリエーションの動きリゾートの動き第二節 観光レクリエーションとリゾート戦略873解 説(2)   (1) 

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