北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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と位置付けている。このような認識の上に、二〇〇〇年代以降の観光産業・観光施策は大きな展開を見せていくことになるのである。なお、資料30はリゾート法施行以降の道内各自治体のリゾート整備構想の推移を記述したものである。アイヌ民族と北海道の観光との関わりには、自ら観光に関わる事業に従事した人々の歴史とともに、北海道の観光におけるアイヌ民族やアイヌ文化の取り上げられ方という、大きく二つの軸がある。それぞれに、北海道の歴史にとって重要な出来事や共有されるべき問題がたくさんあるが、ここでは、ごく限られた資料に絞り込まざるを得なかった。先ずアイヌ民族自身が観光に従事してきた歴史については、阿寒湖アイヌコタンなど道内(外)の様々な地域や施設の歴史、その運営に関わった人々や様々な興行に従事した人々の足跡のほか、他の観光事業者や行政との関わり、観光客・観客の体験や認識、観光が文化伝承に果たした役割など、多くのトピックがある。ここではその一つとして、白老町の財団法人白老民族文化伝承保存財団(一九七六(昭和五一)年設立、九〇(平成二)年に財団法人アイヌ民族博物館と改称、二〇一八年三月に公益財団法人アイヌ民族文化財団に吸収合併)の前身に当たる「ポロトコタン」の創設(白老町市街地からの移転)に関する資料のうち新聞記事を掲載した(資料31)。新聞報道という限界を有する資料であり、特に、専ら道や白老町の動きや意向が報じられ、肝心の白老のアイヌの人々がほとんど登場しないことに注意されたい。しかしこのことが、白老という場が周囲からどのような認識の中に置かれていたのかを示唆してもいる。白老も含めた各地・各施設の歴史については、個々の事例については幾つかの基礎的な資料紹介が発表されているが、まとまった著作は未だ乏しい。当事者による記録として『まりも祭り五十年のあゆみ』(阿寒湖アイヌ協第四節 観光とアイヌ民族875解 説  

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