ズンの厳しい経営的状況で強いられる苦肉の策であった。観光シーズンの夏季に従業員が集中的に必要となると、冬季までの常時雇用は難しく、一貫した教育も困難となろう。繁閑の差による構造的な問題がサービス改善を制約したことを示唆している。この時期、観光業への期待が高まる中で、旅館・宿泊施設に対する実態調査が行われた。資料39は洞爺湖温泉地区のものであるが、客を受け入れるだけの受動的姿勢から積極的な経営体制に転換するための改善点が提起されている。各地の調査が共通して指摘する経営の近代化、教育・サービス問題、繁閑の格差対策などは、東京オリンピックを機に国際観光地に跳躍すべく北海道観光業の課題であった。一九七二(昭和四七)年札幌オリンピック(第一一回冬季オリンピック大会)は、北海道の観光、宿泊業の在り方を変える一つの転機となった。札幌オリンピックは、大きな経済効果への期待のもとで開催された。宿泊業界も、オフシーズンであった冬季の外国人観光客誘致に期待が高まった。ビジネスチャンスをつかもうと一斉に建設投資が進んだ。資料40は、宿泊需給の調整に混乱が起こり、現場の柔軟な対応で乗り切ったことを伝える。開催期間中の需要が落ち着くと、今度は、客室が過剰状態となった。増加していた道外客入込(延べ人数)は第一次石油危機以降の一九七〇年代に二、五〇〇万人前後で停滞したから、宿泊業の経営が順調に伸びたわけではなかった。資料38は、光が当たることのなかったオリンピック後の業界の困難を物語ってくれる。オリンピック開催の頃から本州のホテル資本も北海道観光に期待を寄せ、投資機運が高まった。資料41は、本州からの進出に対抗する組織的な動きを示している。資本力のあるホテルの上陸は激しい競争をもたらすと、道内中小旅第三節 札幌オリンピックと宿泊業879解 説
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