も実際的なよい方法を含む預金者の最大限の保護とをできるだけ速かに実施するためにあらゆる可能な手段をとらなければならない。普銀転換―飛躍のとき 戦前戦時中を通じ当行は漸次商業銀行的な色彩を強く 却したのが二十五年の普銀への転換であり、それにつづしていたが、戦後混乱の中で特殊銀行的色彩を完全に脱く都銀への加入であった。そこで当行は都銀として体制作りを急ぎながら業容拡大を進めてきたが、厳しさを加えてゆく諸環境の中で、さらに飛躍を果たさんとしているのが、七〇運動の展開であり、当行の現状である。普銀への道北海道拓殖銀行人事部『たくぎん』№一七四戦後から現在まで(国立国会図書館所蔵)一九七〇年四月昭和二十年八月太平洋戦争が終結した。我が国は連合国によって占領され、武装解除とともに民主化が強力に行なわれた。一方それまで統制によっておさえられていたインフレが日増しに激しくなった。こうした戦後の混乱した時期に当行は五十年余におよぶ伝統ある特殊銀行から普通銀行への転換を遂げたのである。この普銀転換を遂げた直接の動機は総司令部の強い特殊銀行廃止方針であった。総司令部は二十三年六月特殊銀行廃止の方針を表明し、当行はじめ旧特殊銀行に対して、純然たる普通銀行に転換するか、もしくは金融債を発行し抵当貸付を行なう債券発行会社に改組するか、再建整備計画の中でいずれか一方を選ぶよう指示した。これに対し当行は再建整備計画の際(二十三年八月認可)「北海道拓殖銀行法廃止の場合は普通銀行として存続したい」との方針を決定したのである。当行がこのような普銀転換を決定した経営事情には次のようなことが考えられる。① 業務内容をみると、戦前からの商業銀行化は戦後2 普銀転換〈一九四八~五〇年頃〉885第1節 金融制度の体制整備と経済成長
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