北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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ート開発、建設関連業界を中心に投融資の積極策を取ったことである。しかし、バブル経済の崩壊とその後の不況の長期化によりその多くが不良債権化し資金繰りが悪化、生き残りを賭けて二一世紀に向けて昨年より、リストラを柱とする第三次中期経営計画をスタートするとともに、今年四月から同じく道内を地盤とする北海道銀行との合併を模索していた。道銀との合併が明らかになったのが今年四月一日。こ   ムーズには進まない。不良債権問題が合併頓挫の主因との発表自体がかなり唐突のものだった。春先から金融市場では系列ノンバンク問題を抱えた日本債券信用銀行とならび拓銀の先行きに注目が集まっていた。先行きについての懸念から拓銀の預金解約が止まらず、九年三月期末の預金残高は対前期比一一・七%減の六兆七、八〇七億円と減少に歯止めがかからなかった。道銀との合併発表はまさに当座の危機を緊急的に回避する措置であったのだ。しかし、緊急避難的に合併を打ち上げたものの、その後は道銀内のコンセンサス不足もあって合併交渉はスいわれるが、今となって見れば同問題が合併拒否に傾きつつあった道銀側に口実を与えたとも見て取れる。では、信用不安要因となっていた拓銀の不良債権は一体どの位のものだったのか。俗に一兆円弱とも言われているが、拓銀側の公表数字では、九年三月期では破綻先債権が一、三〇九億円、延滞債権が三、六五八億円、金利減免債権が四、三六一億円、経営支援先債権が一九億円で合計九、三四九億円内外となっていて、貸出金に占める不良債権の比率は同期において一三・四一%となっている。なお、六月に新聞報道された日銀考査資料によると、八年九月中間期末で拓銀の「回収が懸念される債権」は六、〇〇〇億円強で、「回収にやや不安のある債権」を加えると実に一兆五、〇〇〇億円に達している。個別不良債権の内訳については詳細は明らかにされないものの、道銀との合併交渉の途上で浮上したのが不良債権の開示問題だったといわれる。そのうちのひとつが七月に入り東京地裁に会社更生法懸念された不良債権問題904第9章 金融・観光・サービス業【金融】

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