2.リゾート開発導入に至る経緯昭和四〇年代に入ってから、社会・経済の変動に伴う急激な人口の減少によって地域における諸活動が低下し、昭和五六年五月には、人口一、四三二人とこれまでの最低に達し、道内で最も人口の少ない過疎村となった。この間、行政としては『過疎』の歯止め策として、肉牛振興をはじめとして蔬菜(ピーマン、セルリー)、園芸作物(イチゴ)、野菜(ニンジン、馬鈴薯、カボチャ)、淡水魚養殖(ニジマス、ヤマベ、ドジョウ)及び山菜加工などに力を注いだ。特に、山菜加工については一定の成果をあげているが村振興〈一九六五~九四年頃〉占冠村『占冠村のリゾート開発』一九九四年リゾートの動きの決定的なものにはならなかった。昭和四九年、村内の秀でた山岳条件と恵まれた自然環境を生かした『スキー場開発構想』を立て、占冠駅西側の標高七七六mの三角山を中心とした地域を候補地として北海道観光連盟に観光診断を委託した。しかし、地質調査の結果、当該地は地滑り地帯であるため、昭和五二年一二月『スキー場開発構想』を断念した。昭和五六年、JR北海道(当時国鉄)石勝線の開業によって、村内に占冠・トマム(旧石勝高原)の二駅が開設され、これまでの〝条件〟が急激に改善され、札幌・千歳等道央への時間短縮と合わせ、道東との通過地点となった。このため、交通条件の立ち遅れから手がつけられず残されていた中トマム地域のスキー場開発の可能性が一躍注目されるところとなった。また、社会的にも余暇時間の増加、自然環境と健康づくりなど『人間性の回復』に対する一般的な要求の高まりの 占冠村のリゾート戦略の背景第9章 金融・観光・サービス業【観光】(2) (5) (1) (4) (3) 936(2) 25
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