北海道現代史 資料編2(産業・経済)
972/1104

司会 厩舎関係者は点々と各地を歩き、施設も非常に貧弱で苦労したという話もありますね。手島 〔(健児 ホッカイドウ競馬調騎会会長〕 あのころ、施設は自分で作るもんだと思ってましたけどね。花咲町にあった旭川競馬場なんかホコリがひどくて、寝てると頭の先から真っ白になった。それでも、これが自分の仕事だと、苦労とも思わずやってましたよ。司会 公正競馬確保のための組織整備は、道としてはどう対応してきたんですか。内田 私は四二年に道営競馬から離れたけど、その時はまだいまのような形にはなっていなかった。いまは調騎会があって、馬主会があって、きちんとしている。昔は馬主も厩舎に住んでいましたからね。手島 馬がいなかったから、馬主でありながら厩務員もやってたんですね。いまでもニュージーランドやオーストラリアはそういう形を取ってます。それが本当の姿かもしれないですよね。厩務員にしても本当編者注)内田 和田 は教えられるんじゃなく、自分でバンデージを巻いたりして体で覚えるものだと思うんです。アメリカあたりは国民性なのかもしれないけど、結構、外部の人が入ってって馬にさわってます。それが本当かもしれないけど、いまの日本ではなじまないです。不正防止、つまり暴力団の排除という点で。日本の競馬はイギリスやアメリカの競馬とは歴史的背景が違いますからね。とにかく紛争や問題が起こらないようにと、規制するための措置が先行していったわけです。だから、外部の人間を入れちゃいかんと。いまはクラシックなどでは下見所〔(レースに出走する馬が、スタッフにひかれて周回する場所。馬の状態を観察できる。〕にも入れるようになりましたが、ようやく近代競馬に切り替わってきたということでしょう。(北海道立図書館所蔵)編者注) 第9章 金融・観光・サービス業【サービス業】958

元のページ  ../index.html#972

このブックを見る