高橋 宿泊料にはサービス料が含まれていませんでしたから、その分、チップとしていただけるわけです。最低でも宿泊料の一割はもらえたんです。ですから、一組で三百円から五百円というのが普通でしたね。古旗 本館の二階あたりの部屋代が二千五百円、東館で千八百円ぐらい、離れの貴賓室で三千円。一番高い浦島という部屋で三千五百円という時代だね。今野 そのころは、いいお客さんが来たんです。日鉄がよかったころは、とにかく招待、招待で、景気がよかったものね。高橋 常連客、指名客というのも多かったんです。来るといつも私を指名してくれるんです。指名料があるわけじゃないんですけど、チップが確実でしたからね。三井 少人数が利用する〝小上がり〟は、一人で受け持ち、チップは全部自分のものでしたからね。千円もらうとすごいという感じで、たまに二千円なんてもらったりすると、飛び上がったものです。(笑)そ今野 高橋 高橋 三井 古旗 〈中略〉れが昭和四十年代に入ると、三~四人で五千円から一万円がザラというように、チップも高額になっていきました。でも、お客さんもいろいろで、意地悪なお客さんもいたわね。チップを全然くれなかったり、帰り際に玄関先で一円だけ置いて行ったなんてね。(笑)みんながみんな稼げたわけではないですしね。個人差もありましたから。それに、一年中忙しいわけじゃありませんからね。十月の半ばころになると、一人もお客さんが来ない日もありました。一年に二、三日はそういう日があったわね。十一月から四月ころまでは冬眠という感じでした。シーズンは五月の花見からでしたね。―月給制に移行―月給制になったのは、昭和三十八年の秋ごろから三十九年の春にかけてでしたよね。メードさんの月給制を始めたのは、二代目社長の 第9章 金融・観光・サービス業【サービス業】964
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