豊さんです。二代目が経営に手腕をふるうようになったのも、ちょうどそのころだったんです。三十四年ころから給料半分、お酒や料理を売った歩合半分、それにチップというようなスタイルになり、三十八年にホテルが建った時に、高卒の女性をたくさん入れたことで完全月給制になったんです。そういう新人には、昔のやり方ではダメだということです。時代が変わったということですね。それから、歩合のようなやり方は、メードさんが四十人もいるとまとめて計算するのが大変で、十日に一回というように払った時期もありました。三井 チップにしても、よくもめましたものね。三十人の団体が入って、それを四人で担当すると、チップの三千円は四人で割るとかね。じゃ仕事ができるベテランも、慣れていない新人も一緒かというような問題が起きて、その都度、話し合ってはコロコロとやり方が変わったものです。高橋 チップはみんなで分ける。つまり、オールにしよ三井 うということになって、帳場に出したんですが、出さない人もいて、毎日、百円ぐらいの割り当てにしかならないんです。社長は、「それじゃサービスが悪くなるかも知れないな。報酬というのは、その人に感謝してお客様が下さるものだから、オールにしない方がいいかも知れない」と言ってくれたんです。それで、給料制になっても、チップはしばらく個人扱いになっていました。でも、新人が入ってくるからそうもできず、苦労は同じということで、結局オールになったんですけどね。給料は七千円そこそこだったと思います。それで三十九年になって二代目の社長に、「兄さん、私は弟を学校にやっているし、親も入院している。私は美人じゃないけど、お客さんの受けはよくて、チップはかなりの額になる。自分でもらったものが自分のものにならないんなら、辞めさせてもらう」って言ったの。そしたら、「まあ、何とかするから。親の病院費だけでも出してもらえるように、役場に 第2節 北海道観光と宿泊業の課題965
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