北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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オフシーズンの宿泊料金問題〈一九七〇年代〉オフ料金問題でも努力小平理事長は、シーズンオフにおけるホテル等の宿泊料金の適正化にも努力した。札幌のオフ料金は全国一安いことで知られており、何としても解決すべき課題となっていた。小平理事長は昭和五十七(一九八二)年十一月に行わ     配付している。夏場なら一万円はする。どう考えても妥れた組合の班会議の席上で次のように述べた。 「大手ホテルは一泊朝食付四千円台の割引券を全道に当な料金には考えられず、大手ホテルと当組合が話し合いで得た結論とは異なる行動をとっているように思われたので、当該ホテルの責任者に会って真意を問いただしてみたところ、札幌のホテル戦争は東京で考えていた以上に激しく、尋常な手段では経営が成り立たないため『札幌ホテル旅館協同組合 二〇一一年行っている、という返事であった。札幌の各ホテルはオフ割引き料金によって、強引に集客しているのが現状である、と考えざるを得ない」。俗に言う札幌のホテル戦争は、札幌ローヤルホテル、札幌ホテル三愛(現パークホテル)が開業して札幌グランドホテルと争った昭和三十年代末を第一次、札幌オリンピックの開催前後にホテルのオープンが相次いだ昭和四十年代後半を第二次、そして京王プラザ札幌やニューオータニ札幌が進出してきた昭和五十年代後半を第三次ホテル戦争と呼ぶ。特に宿泊キャパシティが一挙に三〇%もアップした第三次ホテル戦争では、ホテル間の競争は過去に類を見ない激しいものとなった。もともと国内的に人気の高かった札幌だが、冬季オリンピックの成功により海外にも名が浸透し、従来以上に外国客を呼べる状況になったことにより、大手ホテルの札幌進出に火がつき、これに対抗する形で既存ホテルが増改築による大型化を急いだことが、宿泊業界の競争を激化させた。百二十年のあゆみ』 第2節 北海道観光と宿泊業の課題96738 

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