これに加え、昭和四十五(一九七〇)年に就航したジャンボジェット旅客機によって、空の大量輸送時代が幕開けしたことも、札幌に多数の大手ホテルが進出した要因だった。一度に五百人以上の乗客を運べる大型旅客機の登場は、旅行会社側から見ると大勢の観光客を一度に送り込むことができる絶好機であり、受け皿であるホテル側にとってもまたとないチャンスとなった。このためホテルは大型化を指向した。しかし、大型化を果たした宿泊施設は、観光客が潮が引くように消え失せたオフシーズンに、膨大な空室を抱えることになった。これをどのように売るのか、深刻な問題となった。旅行会社にしても同様な事情を抱えることになった。夏場は観光客がどんどん集まっても、冬になると雪まつり期間以外はぱったり客足が途絶える。ジャンボジェット機で空気を運ぶわけにもいかず、割引してでもシートを埋めた方がまだましであると考え、オフシーズン用の格安商品を開発して大量販売を行うようになったのである。これが常態化して、ついにはオンシーズン中でもオフシーズン並のパケージツアーが横行するようになり、前述した全国一安い札幌の宿泊料金が生まれた。この影響をまともに受けたのが旅館業界だった。第一次ホテル戦争まではホテルと旅館の棲み分けがなされていたが、第二次ホテル戦争以降は修学旅行の受け入れなど、旅館が昔から行ってきた宿泊業務さえ大手ホテルにさらわれる状況となった。既存旅館の廃業が目立ち始めるようになったのも、この頃からだった。組合に加入する組合員数も減少に転じるようになり、組合は大手ホテルに対抗する一方で、このオフシーズン料金問題の解決にも、強力に取り組むことが求められていた。北海道商工部『北海道観光旅館業界診断報告書(札幌市中央図書館所蔵)観光施設の経営問題第9章 金融・観光・サービス業【サービス業】 96839
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