市内の五輪宿泊客一三万人強〈一九七二年〉市内の五輪宿泊客一三万人強開催決定から六年の準備期間を経た昭和四十七(一九七二)年二月二日、いよいよ札幌オリンピックが開会式を迎えた。真駒内スピードスケート競技場に集った三十五カ国約一一〇〇人の選手が入場行進し、五万人の大観衆が沸き返った。こうして十二日間にわたる競技の火蓋が切って落とされた。訪れた観光客は、前年八月のドルショックの影響によるキャンセルが影響し、宿泊客数は予想より伸び悩んだが、それでも期間中の一般宿泊者数は合計十三万人強と『札幌ホテル旅館協同組合 〈中略〉二〇一一年なった。トラブルらしいトラブルもなく、各旅館は国際的な応対やサービス提供にも自信を深めた。宿泊客受入対策委員長を務めた佐々木理事長は次のように総括した。 「完璧といえないまでもよい成績で終了した。宿泊事務センターを設置して、各旅館との連絡を緊密にして、内外宿泊客の受け入れに万全を期したことは、宿泊客のためにも、受け入れ旅館のためにも、非常によい結果をもたらした。ドルショックによって景気が沈滞し、予約客にも相当のキャンセルがあり、会期中は各旅館満室というわけにはいかなかったが、例年に比較すれば相応以上の宿泊客に恵まれたと思う。逆に一人一室という無理のない客室提供が実現できたため、札幌のイメージとしてよい評価が得られたと思う。オリンピックを契機に、国際的に飛躍した観光札幌のため、有益な基盤を築いた。将来に大いに期待されるものがある」。現場で東奔西走、大車輪の活躍をした旅館やまとの鈴 木喜一国内宿泊センター所長が、昭和四十七(一九七二)年三月発行の札旅だよりに、当時の様子を次のよう第三節 札幌オリンピックと宿泊業百二十年のあゆみ』 第9章 金融・観光・サービス業【サービス業】97240
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