北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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本題の親睦会は、昭和四二年五月、会員数六五名で設立された。そこで、座談会の中で親睦会が発足されるに至った経緯、目的について話を聞いた。経緯としては、ジンギスカンを開業して以来一一年、    けられるようになり、感謝と慰労を兼ねて年に一度くら北海道の主要都市に「松尾ジンギスカン」ののれんが掛い皆で集まって懇親を深めたいというのが創業者・松尾政治の一番の思いだったのではないかという話でした。もちろん、高度成長期時代ですから、この機会に道内各地の情報収集というねらいもあったと考えられるし、支店を増やして、ますます「松尾ジンギスカン」を盤石に松尾ジンギスカン親睦会〈一九六二~六七年頃〉『松尾ジンギスカン五十年史』二〇〇六年していきたいという考えもあったと思われる。また、会則についても目的の一つであったと考えられる。そして、その思いが叶い全盛期(昭和五〇年頃から数年)には三〇〇店余りの支店にまで膨れ上がり、この頃はまさに「飛ぶ鳥を落とす」勢いがあったのではないだろうか。座談会の中で「一番最初の支店はどこだろう」と尋ねたところ、いろんな話が飛び交う中、昭和三七年の岩見沢支店(西浦氏)が最初ではないかとのことだが、その時にはすでに滝川市内に何店かあったような気もするという話も出てきた。例えば、滝川公園内とか名店ビル、江部乙、さらには、吉田ジンギスカン等々詳細については不明のため、ここでは割愛する。昭和三七年の岩見沢支店をかわきりに、三八年に札幌北大医)大前支店・札幌元町支店、三九年に札幌美園支店、四〇年に札幌支店・札幌すすきの支店・旭川支店と続き、その後道内各地に広がり四二年の親睦会発足時には、滝川近郊に二六店、札幌圏域に一三店、道北に一一店、道東に九店、道南に六店の計六五店舗となる。中でも、昭(ママ第四節 変貌する歓楽空間〔「北海道松尾ジンギスカン親睦会」を語る。〕第9章 金融・観光・サービス業【サービス業】98042 

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