北海道現代史 資料編2(産業・経済)
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法華クラブ札幌店と、ススキノグリーンホテル3である。今月はその中の一つススキノを中心に展開する北海道振興㈱の久末鉄男氏に今後の宿泊需要を伺った。本誌 過当競争が喧伝される札幌市内で、急激なホテル展開と好調ですが、宿泊業にはいつ頃からとり組まれたのですか。久末 元々は、昭和三十六年創業の貸しビル業です。飲食ビルを中心に営業していました。ホテルを始めたのは、昭和四十八年のススキノグリーンホテルが最初で、十周年を迎えています。本誌 今度、営業を始めたススキノグリーンホテル3を含めて、御社所有の主要の十五のビルのほとんどが南四条・五条に集中しているわけですが。久末 貸ビル業を始めて、実際まだ若い会社です。当時、ススキノはその地名が示す通り、だだっ広い野原で、今でこそ先験()的な事業と言えますが、料飲ビルという形態自体、全国で初めての試みでしたし、営業として成り立つのだろうかという不安もありました。本誌 久末 本誌 久末 でも、計画都市としての札幌市の中で、特に繁華街では料飲ビルは非常に機能的だったんですね。ビルを建てればスペースがうまるという状況でした。料飲ビルから、ホテルへ転換したきっかけは……。当時、ススキノにホテルがなかったことが第一に挙げられます。それに、濡れ手にアワの料飲ビルも、オイルショックをきっかけにして足踏みしてきましたし、我々としても安定成長を意識しまして、業種の転換をせざるをえなくなっていたんです。そこで、ススキノの街自体も成熟していましたし、ホテルがあって、飲食店もある、という街の整い方も可能なんじゃないかと思っていたわけです。所謂、都市旅館さんはいっぱいありましたが、宿泊だけを前提にした大きな施設はなかったですから。第一号店はどれくらいの規模だったのですか。百室で、まあ小手調べというより、リスクをおさえたといった感じです。それでも、オープンしてすぐ、客を断わらなければならない状態で、私共全く見 第9章 金融・観光・サービス業【サービス業】982

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