資料21は、敗戦後二カ月余りの間に生じた朝鮮人や中国人の「騒擾」を伝える新聞記事である。戦時中、九州の炭資料22~26は、炭鉱労働者確保策として取り入れられた政策を示す資料である。戦時中、炭鉱では日本人が戦争に駆り出されると、多くの朝鮮人や中国人が採炭に従事する労務者として徴用された。彼らは、敗戦をきっかけに、それまでの搾取や酷使に対する恨みを果たすかの如く、会社や労務管理係に対し、様々な要求を突きつけ、時には暴力的な集団行動をとることもあった。鉱に朝鮮人や中国人を含む労働者を移動させた太平洋、尺別など一部の炭鉱を除き、多くの炭鉱で「騒擾」が発生している。記事では茅沼炭鉱(泊村)で発生中の事態についてもふれられている。事態収拾のためには、進駐軍の力に頼るしかなく、朝鮮人や中国人を早期に送還させることになった。朝鮮人や中国人が炭鉱を去ると、炭鉱労働の担い手が必要になる。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)にとっても日本の復興にとっても、石炭の確保・増産が重要な課題だったからである。一九四六(昭和二一)年一二月には日本政府が傾斜生産方式による戦後復興のシナリオを示し、石炭の増産に力を入れることになった。敗戦後の食糧難、物資不足に対応しながら炭鉱労働者を確保し、石炭増産を進めるために様々な政策が打ち出された。朝鮮人・中国人の動向労働者確保策と復興期の生活【炭鉱の生活】第一節 占領下・復興期の炭鉱85解 説 (2) (1)
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