二月二八日付で設置認可され、四九年五月から授業を開始した。そのカリキュラムは将来の大学設立につなげることを見越したものであり、新制大学の学部学科をモデルに構想されていた。苗邨学園は四九年五月に北海学園に改称、五〇年には北海学園短期大学を、五二年には北海学園大学を設立する。口末一が示した北海道の高校教育のレベルアップ、教員養成の充実を図るための方策である。山口は、大学と高校が普通教育及び職業教育の両面において緊密に連携すべきと述べ、実際に農村部の新設高校に札幌南高校の教師を派遣するなど北海道の高校教育を発展させるために尽力した。景には地元小樽市を中心とする設立運動があった。五一年一月には「勤労青年を対象とした夜間大学課程」を求めて、小樽商科大学夜間短期大学部設置期成会が結成された。期成会の働きかけもあり、設置(五二年三月)に際しては、国庫のほか、小樽市、北海道もそれぞれ経費を負担している。の高まりを背景に、日本の高等教育は急速に拡大した。北海道も例外ではなく、既存の私立大学の学部の増設のほか、本州に本部を置く大学の誘致が各地で取り組まれた。が旭川市の支援(計四、〇〇〇万円を助成)を受け、北日本学院大学として開学した。建学の理念として「地方文化資料3は、財団法人苗邨学園理事会が設立した各種学校、北海学院の建学の趣旨である。北海学院は一九四八年一資料4は、城戸幡太郎の構想(第二部第二章 資料5は、小樽商科大学短期大学部設置要項(一九五一年九月)が掲げた「目的及使命」である。同校の設置の背資料6は、北星学園大学の経済学部増設趣意書である。一九六〇年代、高度経済成長とベビーブーマーの進学要求資料7は、経営難に陥った旭川大学の再建案である。一九六八(昭和四三)年、共立学園を母体とする四年制大学教育行政・教育計画 資料7参照)に応え、札幌南高等学校長 第二節 私立大学・公立大学の整備996 山 第2部 教育 第8章 高等教育
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