北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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文と三三の炭鉱(事業所)からの回答のうち、もっとも詳しく記入された夕張礦業所の回答結果である。多くの炭鉱で社員用の自家用耕作地が確保され、事業所独自で農場の直営や農家への食糧生産委託が行われている様子が示されている。礦労働組合(夕張)の機関紙の記事である。傾斜生産方式による石炭増産のため、炭鉱労働者には高賃金、米の特別配給を行うとともに、様々な物資を出炭成績や稼働日数などに応じて特別に配給する仕組みが取り入れられ、労働組合もそれを認めていたことが分かる。これ以外に、無料ないし定額の住宅費・水光熱費を始めとする生活全般にわたる手厚い保障がなされ、樺太からの引揚者、空襲で焼け出された人々などが炭鉱労働に従事するようになった。建設年次を見ると、約三割が戦前、約六割が敗戦直後から昭和三〇年代前半までとなっている。戦後、傾斜生産方式下で政府が財政的支援を行った結果である。鉱員と職員、経営者で居住環境は異なり、鉱員社宅は戦前建築、狭い間取り、風呂なしの共同浴場利用、汲み取り便所等、設備環境が格段に劣ることが分かる。経営者・職員社宅と鉱員社宅は立地の点でも住み分けがなされていた。職員と鉱員による居住環境を始めとする待遇の差はいずれの炭鉱にも共通して見られた。増産に向けた慰安のためのもので、他に芸能演芸会や大相撲の地方巡業等が会社主催で実施された。運動会、山神祭、盆踊りなどの行事も炭鉱の人々の楽しみで、会社側が福利厚生の一環として経済的な支援を行うことが多かった。一方、敗戦後、急速に結成された北海道における各炭鉱の労働組合は、早い段階で全道的全国的な組織を結成し、資料22は、北海道石炭鉱業連盟が一九四六年六月に各炭鉱に発出した、自家用耕作地の実状を調査するための依頼資料23は、一九四八年一〇月一五日に閣議決定されたリンク物資配給(特別配給)に関する通達を紹介する遠幌炭資料24は、炭鉱労働者の住宅整備の実状が理解できる太平洋炭礦の資料である。一九六六年時点のものであるが、資料25は、炭鉱を主とする鉱山を巡回する派遣映写会業者が各鉱山宛に送った日程変更案内である。映写会は石炭86第1部 社会・文化 第2章 農山漁村・炭鉱の生活     

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