北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
103/1232

炭鉱労働組合の共通の課題に取り組み始めた。資料26は全日本石炭産業労働組合北海道地方本部文化部が打ち出した文化政策方針である。全日本石炭産業労働組合は炭労の前身の一つで、左派系に位置付けられるが、生産の増大と平和の再建に向けた民主的な取組に文化運動が大きな意義を持つことが述べられ、娯楽やスポーツ、また児童を対象にした活動まで網羅した活動方針が示されている。各炭鉱では、各種のサークル活動、同好会活動が盛んとなり、綴り方運動やうたごえ運動なども生まれた。傾斜生産方式による石炭増産の動きは、必ずしも順調ではなかったものの、朝鮮戦争の勃発により、他の産業と同様、石炭産業も活況を呈するようになった。しかし、朝鮮戦争が休戦状態になると、新たなエネルギー源としての石油の登場もあり、石炭産業が厳しい環境におかれるようになる。労働条件の確保・改善を目指す労働組合運動も盛んとなり、一九五二(昭和二七)年には六三日に及ぶストライキが発生した。一九五五年には石炭鉱業合理化臨時措置法が制定され、採算性によって炭鉱を選別するスクラップ・アンド・ビルド政策が打ち出されることになった。職希望者を募る会社と多くの労働者の離職の動向、それに抵抗するため石炭政策を転換させる闘争を提起する労働組合の動きが分かる。多くの炭鉱離職者は仕事を求め、会社のあっせんなどに応じて、山元を離れていく。なかには、新しい働き先として、海外移住を選ぶ炭鉱離職者もいた。資料28は、三井美唄炭鉱を離職し南米移住を希望する人々の様子を伝える新資料27は、北海道炭礦文化研究所発行の雑誌『炭礦』に掲載された一九六一年時点の炭鉱合理化の動きである。退スクラップ・アンド・ビルド政策の影響第二節 高度経済成長期の炭鉱の生活87解 説   (1) 

元のページ  ../index.html#103

このブックを見る