北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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聞記事である。合理化の動きに対応して、南米移住に向けた研究会を立ち上げ、既に移住した者に続こうとする者たちがいることが示されている。三井資本は北海道や九州にある自社の炭鉱離職者の受け皿として、独自にブラジルに入植地を建設しており、炭鉱離職者の重要な移住先の一つとなった。北海道からは三井資本の美唄、砂川、芦別の各炭鉱の離職者が南米に移住していることが分かる。炭鉱の合理化が始まった時期には、炭鉱の文化活動も変化していた。その様子を空知炭鉱(歌志内)労組の立場から、文化活動の歩みと今後の課題としてまとめたものが資料29である。敗戦後、急速に文化活動が盛り上がったものの、一九五〇年のレッドパージにより文化活動の指導者の多くを失うとともに、映画、パチンコ、麻雀、飲み屋など安易な享楽の機会の増大により、サークル活動などの文化活動は停滞したとされている。企業側の福利厚生費としての文化費が減少していることも背景の一つとして描かれている。福利厚生費の見直しは、この時期、様々な面で進んだ。それを示すものとして、資料30を取り上げた。太平洋炭礦の一九六一年度の第一回経営協議会で示された会社側の「合理化中央協定並びに山許協議内容」のうち、福利厚生に関わる部分を取り出したものである。社宅料、石炭代等の自己負担分の増額、従業員家族パス、通学パス等の補助の減額、山神祭、運動会、盆踊り等行事に対する会社負担の親睦団体への付け替えなど、様々な形で福利厚生費の削減を提案している。福利厚生費の削減の動きは、いずれの炭鉱でも見い出せるものである。太平洋炭鉱の場合、独自の対策として、持文化活動の課題炭鉱の福利厚生の変化88第1部 社会・文化 第2章 農山漁村・炭鉱の生活   (3) (2) 

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