北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
1042/1232

る。𠮷田が、自ら「世話人」を務めつつ、ここで披露されるのはあくまで「昔のアイヌの風俗の一つ」であるとし、「アイヌ個人の写真を撮る事を禁じていた」のは、こうした懸念ゆえだと考えられる。記事は「アイヌはほとんど和人と同化し切っていて」と述べるが、芸能の披露ひとつにここまで注意を払う𠮷田らの意識は、けっして「和人と同化」しているとは言えないだろう。むしろ「純粋のアイヌ」を探そうとする和人の認識こそが、𠮷田らにとっては「説明し注意」すべきものだった。社団法人北海道ウタリ協会(現公益社団法人北海道アイヌ協会)の取組、資料4は、当時の文部省検定を通過した教科書においてなおアイヌの歴史・文化に関する基本的な事実認識の過誤があったことに対する北海道ウタリ協会の抗議活動、資料5は、道立高等学校においてアイヌ民族に対する差別的な内容の授業が行われていたことに関する同協会の抗議とこれを踏まえた北海道教育委員会の通知文を紹介した記事である。こうした学校教育や教科書における様々な問題は、いわゆる教育現場だけがその責めを負うべきものではない。学校教員を育成する場であり、教科書執筆者となる研究者・教育者の学問の場である大学において、そこでの研究・教育に携わる人々のアイヌ民族に対する認識がきわめて危ういことを示すのが資料6である。これは、結城庄司を代表とするアイヌ民族有志による団体「アイヌ解放同盟」による、北海道大学経済学部で行われていた講義の内容を厳しく指弾する公開質問状である。問題の所在は、ただにこの講義にあるのではなく、この講義は過年度から行われてきたのであり、このとき問題を感じた学生が通報するまで、学内で自ら律することはなかったと推察できることにある。この問題及びこれに抗議した結城庄司の足跡については、結城の自著『アイヌ宣言』(三一書房、一九八〇年)及び竹内渉『結城庄司研究報告書 言うまでもないが、この資料が指弾する(A)~(E)の発言は、全て明らかな誤謬又は偏見である。資料3は、時代が下った一九八〇年代における、主に小・中・高等学校教育のあり方に関する北海道教育委員会と結城庄司とその文化復興活動研究報告書』(二〇〇二年)などを参照されたい。また、1026  第2部 教育 第9章 アイヌと教育

元のページ  ../index.html#1042

このブックを見る