資料の作成を目指して取り組んだ事業の、最初の報告書である。この取組の特徴は、札幌市の全教員を対象として、アイヌ民族の歴史や文化に関する知識や認識についてのアンケート調査を行ったことである。アイヌ民族の生活実態や意識を調査することは、過去にも、当時も、また現在も、多く試みられているが、差別的な認識や基本的な事実誤認などの問題は、和人などアイヌ以外の人々に所在することを考えれば、〝自らを問い直す〟ことも重要な取組なのである。パの会」の活動の一端を示す資料である。一九八四年、札幌市で小川早苗が主唱してアイヌの子どもたちの学習を支える「エテケカンパの会」が発足した。さかのぼれば、札幌市では一九八〇年前後から、北海道ウタリ協会札幌支部の事業として、土橋信男(北星学園大学教授)と有志の学生らによる児童・生徒の学習支援活動が取り組まれていた。「とかちエテケ・カンパの会」は一九九〇(平成二)年に木村マサエが代表となって設立され、帯広市生活館を会場に帯広畜産大学学生らがボランタリーなかたちで子どもたちに学習と学びの場を提供する活動を開始した。一九八〇年代半ばから九〇年代にかけては、高度経済成長を経た豊かな社会とされる時代である。それだけに、生活条件の問題や学校での被差別体験が子どもたちに学校教育からの過酷な疎外をもたらすことに対して、それを防ぐための学習環境支援を急務と感じ、行動した人々がいたのである。とかちエテケ・カンパの会は、この資料からも見られるとおり、定期的な学習会の他に様々なレクリエーションも実施、一九九二年からはアイヌ文化の学習活動も開始し、九五年からはカナダなど海外先住民族との交流事業も展開するなど、様々な学びを提供する場となった。一九九〇年代に入ると、国連が一九九三年を「世界の先住民の国際年」、九五年から二〇〇四年までを「世界の先住民の国際十年」と定めて世界的に先住民族の尊厳と諸権利に対する認識を深めそれらを回復・保障するための取組資料7は、こうした様々な問題を経た一九八〇年代半ば、札幌市教育委員会が、アイヌの歴史・文化に関する指導資料8は、このような時代の中で取り組まれた、アイヌ児童の学力保障・教育支援を目指す「とかちエテケ・カン1027 解 説
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