北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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充分だから多くのアイヌコタンも調査した方がいいよ。どうかね冬休み中に実現しよう。私も調べたいことがありますからご一緒させて下さい」善は急げと言いながらも、あまりに早い話しだった。丁度、私の結婚も決まり何かと忙しい時であったが、正月があけるとすぐに、帯広、白老、二風谷の小学校にお邪魔することにした。はじめに幕別町に向った。幕別には父の知人を頼って行ったが、町会議員やいろいろな役職をもつ吉田菊太郎さん宅だった。吉田さんはアイヌであり、物静かな学者タイプの人だった。広い応接間にはアイヌ民具がいっぱい飾られてありアイヌとしての誇りを持ち、その夜はコタンの青年との懇談会を予定してくれたり、次の日は相川小学校にも案内してくれ、大変な世話になった。次は二風谷へ。二風谷にも父の友人である貝沢善助さんを訪ねた。貝沢善助さんも町会議員の要職にあり大変忙しい人だったが心よく私たちを迎えてくれた。帯広の吉田さんと同じ様に、貝沢さんの家の一部屋にアイヌ民具が飾られてあり、ぴかぴか光って見えた。貝沢さんはその夜、家族を交えて、いろいろな話しをしたり、私たちの質問に答えたり、次の日は二風谷小学校に連絡をとってくれたり温かい持てなしをうけた。次は白老へ。              次の朝早く森竹竹市さん(ウタリの歌人)の家に案内されたが大居先生はまた笑いを誘いながらいろいろ質問をした。それから白老小学校を訪問した。三校訪問した中で一番大きな学校だった。私は今まで、アイヌ児童の在籍している学校を参観したことがなかった。多分、近文小と同じだろうと考えていたが大変参考になり研究の意欲が湧いたのだ。「井の中の蛙」であった〈中略〉1030第2部 教育 第9章 アイヌと教育

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