北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
105/1232

ち家制度の導入も図られた。資料31にあるように、会社が不動産部門を立ち上げ、宅地開発をするとともに、道内炭鉱では例のない持ち家を奨励する制度が一九六一年度の第二回経営協議会で提案され、組合側も認めた。当初は持ち家制度に不信感をもつ社員も少なくなかったが、この制度を利用する者が増加していった。それに伴い、空き家になった炭鉱住宅の一部を下請け企業の従業員用に貸与するようにした。高度経済成長以降、多くの炭鉱が閉山となり、残された炭鉱が少なくなった。資料32は、一九七〇(昭和四五)年に営業採炭を開始したビルド鉱、三菱南大夕張炭鉱で一九八〇年代から生活を始めた炭鉱マンの妻の炭鉱生活と炭鉱事故・閉山に関する語りをまとめたものである。この段階でも、長屋生活、共同浴場、一番方から三番方までの労働とそれに対応した生活が続いていることが分かる。しかし、残された炭鉱も事故から免れることができず、つらい思いを抱えながら閉山に至る現実が語られている。閉山後には、かつての長屋住宅も解体されている。閉山後、解体されず長屋住宅が使い続けられる場合もあった。資料33は、九三人が犠牲となるガス突出事故をきっかけに閉山した北炭夕張新炭鉱が、閉山後の社宅を炭鉱離職者用に提供する場合の条件について示した資料である。住宅は公営住宅に準じた扱いとなり、水光熱費、し尿処理代も同様になることが示されている。炭鉱企業が担っていた福利厚生用の費用を炭鉱離職者が負わなければならなくなる様子がうかがえる。変わらぬ炭鉱の生活と炭鉱事故・閉山閉山後の住宅第三節 閉山の進行と炭鉱生活89解 説(2)   (1) 

元のページ  ../index.html#105

このブックを見る