る。そして、今日、「アイヌ新法」の制定要求運動を推進しているように、アイヌ民族の歴史は決して空白ではないのである。シャクシャイン戦争や近現代の自覚的な運動をとりあげない教科書は、子どもたちに主体性が欠如し、抑圧された存在という負のアイヌ民族イメージを植え付けることになりかねない。このように「新社会科教科書」も現代の生活者としてアイヌ民族の姿は全く描かれていない。極めて限定された時代と内容の記述であって、系統的とはいいがたい。これは戦前期の教科書の〈アイヌ民族〉記述を引きずり、(3)〈アイヌ民族〉記述の正確性それを克服していない証左であろう。東京書籍の一九八九年度版の『新訂新しい社会』(六 江戸時代の身分制度のもとで強められた差別や、アイヌ上)は歴史単元の「日本の課題」の項で、「いま、日本は、世界の中でも豊かな国の一つに数えられています。しかし、いっぽうでは、解決していかなければならない課題がたくさんあります。(中略)憲法の中心である、すべての人々の基本的人権を守ることは最も大きな課題です。 の人々に対する差別を完全になくすことが求められています」という、現代日本の解決すべき課題のひとつとしてアイヌ差別の問題を明確に位置づけた記述を掲げたが、一九九二年度版の『新しい社会』では削除となった。アイヌ民族差別は解消したのであろうか。それとも記述に足る問題ではないのだろうか。このことはそれが今日の問題ではなく、単に近代史の一齣として片付けられる危険性を内包している。第三に、〈アイヌ民族〉記述の正確性である。ここでは記述内容そのものを具体的に分析していくが、「新社会科教科書」の記述の大半は一九八九年度版のそれと比較して大きな変化がない。だが、一部の教科書には最新のアイヌ史研究の成果をとりいれた新しい記述傾向も見られる。最初にシャクシャイン戦争をとりあげよう。これは一六六九年六月にシブチャリ(現在の静しい内町〔現・新ひだ〈中略〉ずな1047
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