という、これでは無理だという批判も多く聞くことです。 しかし実際の問題としてはハツキリ結論を出さないでも、多かれ少なかれ、大低)の人にはその必要があるのではないでしようか。去る日の夕方、私は急用のため、素足に庭下駄をつつかけて田舎道を歩いて行くと、一人の婦人にぶつかりました。年の頃三十七八、その頭は、一月も洗はない様な光りのない髪、真中から分けてある髪の幾本かゞ顔にかぶさり、一増)疲れ切つて見えました。そして背中に一人、両手に一人づつ、後に一人、此の分では家にまだ二、三人残して来ましたと云はんばかりの様子でした。こんなに苦労をしながら、何の為に子供を大きく(なけれげならないのだろうか。そしてどこ迄立派な子供に肴(て上げられるだらう。さらに進んで、国ではこの子供をどんな方向に進ませてくれるだらうか。と今迄思つて見た事もない事迄考へさせられました。そして女である私は、此の婦人に同情しました。(ママ(ママ時(代ですもし私に、「あなたは産児制限に賛成しますし脱カ)育)か、反対ですか」と聞く人があるとすれば、私は賛成いたします。但し何人位がよいかと云うことについては、自分の子供に対する夫の理解の程度と家庭経済の届く範囲内で決めるべきであると思います。(北見市一女性)産児制限に反対する。全面的に産児制限を否定するのではない。つまり農村に於ては産児制限をするための条件がととのつていないと思うのである。産児制限への条件は次の様なものがあると考へられる。 論 マ)マ子生活者、給料生活者、労働者等がこの部類に入る。① ② なければならないこと。要約すると、きまりきつた収入で、高い生活水準を維持し、子供に高等教育を受けさせ様とするためには、自ら産児制限が行はれるようになるものである。反 対 一定の額を所得するものでなければならぬこと。利それと共に生活水準が高まり、教育程度が高くなら92第1部 社会・文化 第2章 農山漁村・炭鉱の生活【農山漁村の生活】
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