北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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農業科の目標を作成した。その後学校卒業者の動向と需給対策に研究をしぼった。教育目標の設定と学校教育指導の重点敗戦により国民は生きる目標を失った。教師も父母も自信を喪失し、人間形成の理念を見失っていた。しかし、 子供の健やかな成長に夢を託して、二六年五月五日こどもの日に「児童憲章」が宣言された。教育目標が定まったことにより、その後道教育委員会の教育行政方針にも方向づけがされ、二九年度の場合は、「教育行政の合理化」「学校教育の充実」「へき地教育の振興」「保健体育の振興」「厚生施設の充実」の教育行政方針に基づいて、学校教育指導の重点を、次のように設定した。1 学習指導要領の徹底と北海道教育課程の実践2 学習指導法の改善3 視聴覚、図書館教育の充実〈中略〉〈中略〉4 5 6 教育目標の五観点は、その後不変のものとして、現在も生かされている。二六年ごろから交通、宿泊条件が整ってきたので、全国大会の北海道開催が可能になった。二六年九月の全日本中学校長会、二八年九月の全国連合小学校長会は、ともに札幌市で開かれ、この種の大会の先がけになった。具体的な教育課程はその地域の特殊事情を考え合せ、学校長を中心とする研究組織によつて決定され、常に更科学教育の振興生活指導の徹底産業教育の振興序 北海道教育委員会「北海道教育課程 標と学年目標」一九五三年(北海道立図書館所蔵)教科の目10652    文 第1節 職業教育

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