高度成長期初期の各種学校〔座談会 四〇年間の歩みを語る〕ものである。司 会 谷内昭治 出席者 今野正義 本禄哲英 井上春枝 谷内勝子 野又 瀧田 戦後の女子教育の担い手としての服飾各種学校司会 そうすると、洋裁学校の果した役割というのは、北海道私立専修学校各種学校連合会『北専各連創立四〇周年記念誌』一九八六年〈中略〉学校法人谷内学園副理事長学校法人今野専修学園理事長北海道議会事務局長中央編物学校長北海道文化服装専門学校長肇 学校法人野又学園理事長武 北海道総務部学事課長(北海道立図書館所蔵)今野 司会 谷内 司会 井上 谷内 本禄 やっぱり戦後の教育の中で女子教育、特に服飾系の人達にしてみれば、女子教育を完全に担っていたといい切ってもいいんではないでしょうか。同感ですね。うちあたりも、今、谷内先生がいわれたように、洋裁も教えるけれど料理も教える。それから、お茶もお花も礼儀作法も教えるというような事も、基本的なものでした。ファッションショーなんか、当時は最高の観物だったのでは…?当時は観ものでしたね。文化的催しのひとつで、劇場みたいな処で…。札劇とか、市民会館で。ずっと、二〇回も二五回も続いたんではないでしょうか。各種学校、特に服飾関係の学校が、社会的に非常な貢献をしたということは、いわれる通りです。昭和三〇年代ぐらいまでですと、田舎に行きますとね。私は全道を認可をするのに実態調査に歩いていたの107711 第1節 職業教育
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