期建設を働きかけていたことが分かる。一九五○年代半ばになると公民館の活動が活発化してくる。資料3は、羽幌町公民館の運営組織体制と事業の概要であるが、館内活動に加えて館外活動に大きな比重が置かれていることが分かる。地区館設置に加え、紙芝居やスライド、図書とともに保健婦や農業改良普及員を乗せた「走る公民館」が、開拓集落、酪農、炭鉱、漁業に従事する住民たちの間を巡回した。青年の教育が熱心に議論され、多彩な試みが行われたのが一九五○~六○年代である。一九四七(昭和二二)年に結成された北海道青年団体協議会(結成時、単位団約三五○○、団員約二五万人)は、中卒以上の勤労青年の教育の場として青年学級の開設を求め、北海道教育委員会と協力して「青年学級開設要項」を作成し、一九五○年一二月には各市町村長に要請を行っている(青年学級への国庫補助を定めた青年学級振興法は一九五三年八月に成立)。一九五○年代、農村地域に暮らす青年たちの集団活動は活発化し、地域を超えて広がりを見せた。集落・地区ごとにつくられた青年団体は市町村内で連絡組織や連合体を結成し、学習活動や研修会、諸行事を行っている。資料4は、網走支庁管内青年団体協議会等が一九五七年に開催した青年生活記録研究集会(置戸町中央公民館にて開催)の開催要項等である。地域青年団の生活記録運動は一九五○年代半ば以降、日本青年団協議会の青年問題研究集会などを通じて全国的に広がりを見せてゆくが、道内の青年たちの中にも、それらに共鳴・呼応し、「新しい青年運動」を展望しようとする動きが広がりつつあった。青年学級でも青年たちによる運営への参加が進み、青年学級生らによる様々な活動が見られるようになってゆく。こうした状況を踏まえ、地域青年会(青年団)を中心に据えながら、青年グループ、公民館、青年学級、農業改良クラブ・4Hクラブ、小中学校、高等学校など全町を視野に入れて青年教育を構想していた自治体もあった(資料5)。第二節 地域青年活動・青年教育1096 第2部 教育 第11章 社会教育
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