また、広大な農村地域に散居する青年たちの実情を踏まえつつラジオや録音教材を活用した視聴覚教育の試みも見られる。資料6は、NHK北海道青年学級放送講座等を使った青年学級の実情とその問題を報告したものである。一九五○年代後半以降、農村部から都市部へと職を求めて移動する青年が増加していった。都市部では、商店街や同業者組合、あるいは職場ごとに、主に中小の商工業で働く青年たちのための青年学級が開設されるようになっていった(資料7)。その教育課程には、職業と関わる内容が盛り込まれたものの実態としては一般論にとどまり職場への還元には課題が残されていた。他方、これらの青年学級は、交流や出会い、趣味や娯楽といった面で青年たちをひきつけ、クラブ活動や青年学級生協議会が活発に展開された。農村では、農業青年のための教育が模索され、後継者育成の場として農業学園が各地で開校された。資料8は、農村青年建設班への参加者の報告であるが、農業や農村に希望を見いだそうとしていた女性の姿を確認できる。北海道内で地方自治体が設置する公立図書館のルーツは戦前に遡るが(枝幸、小樽、函館、帯広、室蘭、釧路)、戦後は北見での一九四六(昭和二一)年の開館以降、公民館図書室、移動図書館、巡回文庫(一九四九年、北海道教育委員会による巡回文庫等)などを含む図書館活動が広がってゆく。市町村にとどまらず企業による図書館開設も見られる。太平洋炭礦(釧路)は、一九四六年、従業員の福利厚生施設として会社施設内に私立太平洋炭礦図書館を開設した。その機関誌『読書タイムス』は読書クラブと読書クラブ協議会の様子を伝えている(資料9・10)。これは一九四九年、新たに建設した青年会館二階に場所を移し、地域の図書館として市街地からも利用者が訪れるようになった。一九六○年代、文部省は農村モデル図書館構想を打ち出した。これに申請した置戸町は農村モデル図書館として活第三節 図書館1097 解 説
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