北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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動を開始、移動図書館を活用して、全町民の生産・生活に役立つ活動を模索した。保健婦や農業改良普及員が公民館主事とともに農閑期に各集落の婦人学級を訪れ八ミリ映画「母と子の二○分間読書」を上映し読書会を開催して回った。一九六九年には、図書館から遠距離にある地区に一坪ほどの「豆図書館」を開設し、地区の子ども会がこれを運営する「ミニミニ図書館」の活動も行われた(資料11)。一九七○年代には図書館振興三ヵ年計画を策定、貸出を重視した諸活動を展開した。農村生活や農業に関わる課題を農業者や住民自身がどのように捉え、そこから彼ら自身がどのような解決方途や展望を見いだしていくか、そうした一連の学習を生み出す場に農民大学があった。一九六○(昭和三五)年一一月、士別市で行われた農民大学では、農業委員会、農協、教育委員会の連携の下、農業技術・経営に関する内容と一般教養を組み合わせた教育課程が編成され、地域の農業や一般行政についても集団討議を通して理解を深めることが目指された。そこでは、一六日間にわたって寝食を共にし、食事や生活全般も参加者が自治的に運営したが、そうした営みも共同的な社会の担い手を育成すべく農民大学が狙いとしたものであった(資料12・13)。これと並行して教育委員会主催の農村青年移動研修会が実施され、これらに参加した青年たちは独自に研究会を発足させるなど自主的な学習活動へと発展した。以降、農民大学は、江差・厚沢部農民大学、函館・道南農民大学など各地に広がった。別海町では、労働者と農民が共に学ぶ継続的な学習会(労農学習会)が始まった(一九七一~八一年)。これは陸上自衛隊演習場設置に対する労働者と農民との共闘を前史とするもので、新酪農村計画や第二次農業構造改善事業など国の政策に農業者としてどう対峙するかが切実な問題として共有された(資料14)。その後、酪農家たち自身で実態調査や経営分析を行い、それをもとに酪農の技術や経営を考える学習会が生まれ、一九九○年代になると、酪農の第四節 農村・農民の学習と教育1098  第2部 教育 第11章 社会教育

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