北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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2 公民館建設請願○一般 代表 参会者二百余名、終始熱心な討論が行われて十一時すぎ散会した。請 願 終戦后八年余吾々は暗い社会の様相に全く実在価値も認め得られない様な過去のみすぼらしい社会教育団体であった。無理もないアメリカ占領政策下に於て戦前の如き青年婦人の集結を分析し当時の団結力をさえぎる手段として四H倶楽部農協、農同青年部等の団体を設置し網羅的なかくも強固な偉力を保持して来た団体の存在を抑制したからであらう。而かし依然として農漁村には部分的にも教養機関も主たる目的とした地域青年団婦人団体相内村連合青年団「昭和二十八年 係綴」一九五三年會田 保吉(標茶町図書館所蔵)社会教育関が生き長らって来た 而かし日増につれ吾々団体にも明るみを感じ当村に於ても昨年来急激に活動も飛躍させ依り良き人格創造に努力して来たが依然として享楽的な岐路をさまよいアプレ的ないわゆる飽和状態にある青年も尠くない 年の自覚が不足して居る事と親達の青年に対する理解も足りないとも言え様 郷建設も何物もない先づ中堅人物である青年の養成に村当事者も積極的に此の打開策を考慮して戴き度いと念願する 依り交渉中である公民館の施設を此の打開策の一端として欠く可からざる重要問題である に会合して自分達の家庭の如く和やかな集会場所を施設又は求める事に依って楽しく集が出来未来の希望を持った青年婦人の誕生が望み得られるものと思ふ 財政等勘案する時別に新築の要はなく現在の公会堂を開放して戴き若干の経費を投じて公民館に等しき設備をして戴き度いと思います 実に悲惨な状態であったと言え様。此の様な状態にあって明るい理想かゝる事に依って従来迠余り利之れ等も青茲に兼ねて社会教育団体が自由而かし村1103  書 第1節 戦後初期の公民館活動

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