北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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道民の生活安定の基礎が産業を興し、職場を与えることであることは自明のことである。が、しかし、産業振興策が余り行きすぎて、道民の生活から遊離し過ぎては道民のためかえつて不幸である。資源の開発については開道以来今日に至るまで、道内の産業発展のために絶えず積極的な指導が試みられて来た。しかし、それに従事する道民の生活指導、即ち衣食住等の消費生活面の指導については、殆んど放任の状態であつたようである。開拓使設置以来開拓民に土地を与え、生産用具を世話する等、生産生活に対する最小限度に必要な指導がなされてきた。しかし衣食住の仕方、衛生、休養、娯楽の仕方については殆んど指導されなかつたようである。開拓民の中には風土の著しく異なつた暖地から移つて来た人が多い。そしてそれらの人々は、既に住んでいた地域の社会的産物を背負つた人達である。しかし自然的にも社会的にも生活環境の異なる北海道〈中略〉である。そこには北海道に適応した生活があるべきである。それにもかかわらず道民の多くは、自らの生活を反省、思料すること少なく、以前住んでいた母村の生活をそのまま受け継いだ生活をしているようである。八十年という生活経験から、生活の障碍になる最も不合理な点は、最小限度に自然発生的に改善されて来たであろう。そしてその生活が今日の北海道の生活であるが、今なお多くの衣食住の仕方、衛生、休養、娯楽の仕方についての反省と改善の必要性がある。新生活ということも、結局、北海道という地域社会に最も適応した生活を確立する生活開発のことなのである。北海道を今なお植民地か出稼地のように考えている人が多い。それは道内にもおり、道外にもおる。やがて帰るべき故里を内地に残して、ここでは何事も一時凌ぎに出稼ぎ仕事をしているのだと心得ている人もある。そんな人の生活の本拠は故里で営まれるのであつて、ここではいわばただ、労働があるのみである。それはいわば漁村の雁戸(二八小屋)の生活、開拓地の居小屋の生活で98第1部 社会・文化 第2章 農山漁村・炭鉱の生活【農山漁村の生活】        

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