炭鉱の生活史をつくる1、炭鉱の生活史を作る動機 「炭鉱というものを捉へることはとても面倒だ」とよそから来た文化人はよく言われる。よその人でなくても、三○年も生活した私達でさへ良く解つていないのが現状である。今三菱美唄には文学、演劇、音楽、絵画などのサークルが活動しているが、その人達が創作一つするにしても、必ず行き当る壁であつた。例へば人間一人見ても、その人がどのような生活の伝統を経て来た人か、またその人が炭鉱を代表するような典型的なタイプかどうか、ということは全く疑しい状態三菱美唄炭鉱文学会・文化部『炭鉱の生活史 資料集』第三輯一九五六年である。大正の初期から住んでいる人の気持と、終戦後に落付いた人とでは考へ方が違つてしまうように、常に入替りの激しい炭鉱では、現代で昔を測ることは出来ないし、昔その侭の考へ方では現代では生活出来ない。そして発展と変化を重ねてきた経過を知りたいと云うのはサークルに共通な問題であつた。次に、郷土史というものを全く持つていないので、炭鉱の発達過程は古老にしかわかつていないことであり、之から育つ子孫の為にも是非残して置きたい。以上のような宿望が常に働いていたのであるが、たま たま「私達の炭鉱の歴史をつくつてはどうか」との提案に、「よしやろう」ということになり、はつきりと目的を定めて活動を起すことになつたのである。このことは「北海道地方史研究」にもその前後のことは書いたが、とりあげた動機については触れなかつたように思う。文学会の中に「炭鉱の生活史編纂委員会」という組織を設け、積極的に活動出来る人達が集つたわけである。2、調査のやり方からまとめまで第五節 労働者の文化活動〔炭鉱の生活史のやり方と反響〕113115 第5節 労働者の文化活動
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