めるのである。例へば部落は三菱美唄では戸数二○○戸から一、○○○戸を超える部落が一五以上もあるから、数個をまとめて分担するのであるが、その場合他の項目も受持つようにした。そうすることによつて関連して調べられるから非常に効果的であつた。或程度調査が進むと、全員が集つて資料の検討をする。一人づつ夫々自分が集めた資料を発表し、その資料の信偽について、不足分等について話合うのである。又自分が欲しい資料で自分が取れない場合は他人に取つてもらい、代りに他の人の資料をとつてやるとかの資料の交換もやつて、協同作業を進めていつた。 「炭住の歴史」では調査を開始したのが二月で、調査を打切つたのは九月の末であつた。全員が職場で働き、その余暇に活動するのであるから日時を要するのは当然である。資料が大体揃うと、次は「まとめ方」であるが、これも大衆討議で行はれる。各項目について以上の年代で区切つて資料の整理をし〈中略〉た。これは戦争が大きく日本の経済を左右し、炭鉱に於ける変化もそれにつれて起つているからであつた。総まとめで問題になつたことは部落の変遷に於いて、年代別に横の線を引いてその中で各部落で起つた事件を抽出して説明を加へるか、それとも年代別に各部落を説明するかで討論した。前者をとると炭鉱内の人達が読む場合に不親切になる、後者をとると炭鉱の人達には納得行くが、炭鉱外の人には全くわずらはしいものになるのである。然し炭鉱の生活史は炭鉱全体の中で作られなければならないという基本に従つて外部の人々にはわずらわしさを我慢してもらつて前者をとつたものである。このことは反響の中で明らかな如く無意味に見へるけれど、実際にその部落に住む人達には大切なことであつた。最後にペンの立つものが原稿をつくり、出来た原稿を更に発表して批判を加へ印刷するのである。出来上つたものはあくまで資料集として発表し、多く は、最初から決定版とすると、後でやり直しがきかないの人達の批判を受ける訳であるが、資料集とした理由に1133第5節 労働者の文化活動
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