北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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地域の歴史の掘りおこし朴な問を持ちながら「歴史学者の目」というより「歴史を学ぶ」という極めて初歩の部分から出発した者がほとんどである。だから、私達は、それほど気負っているわけでもない。ただ歴史を学ぶということは、現代に、人間としてどう生きるのかという極めて積極的な問があるように思う。その気持を大切に、自分達の身近な歴史を正しく見る目を育てていかなくてはならないと思う。ようやく歩き出した会である。三月七日の講座は、大役すぎた感もするが、具体的な問題ととり組んで、これから、どう進めていくかということを学んだのではないかと思っている。そういう大切な意味をこめて、ここに三月七日の若干の記録を再現したいと思う。丸瀬布郷土史研究会「中央道路開削に従事した囚人墓所発見について報告」一九六八年(北海道立図書館所蔵)このことについては七月六日夜口頭をもって取り敢ず御報告したところですが、明治二四年道路開削の際の犠牲者四五柱が埋葬されていると伝えられる、白滝村東区川向の墓所と目される個所において、昨七月六日夕刻草葉に埋もれていた朽ちた墓標(トバ)一基を発見いたしましたので、茲に御報告致します。一、動機職者の慰霊碑を建立することになつたと云ふ報道から白滝村の郷土史グループと丸瀬布郷土史研究会は、留辺蘂町の〔人名A〕師(僧職)と知り合い、相協力して殉職者の遺跡を調査することを申し合わせました。遠軽町〔人名B〕さん(旧白滝故〔人名C〕氏長女)から、下白滝の〔人名D〕氏地内に七柱位と、白滝幽仙橋の近くに数体の墓所があり、幽仙橋の名称もそれ中央道路開削に従事した囚人墓所発見について報網走管内総合開発期成会が、本年中央道路の囚人殉その直後の六月三日、丸瀬布郷土史研究の秋葉実は、114120   告 第6節 博物館と郷土史・民衆史に学ぶ活動

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