〔人名L〕、〔人名M〕、〔人名N〕某の各氏に尋ねましたが、川向いあたりに囚人のお墓があつた話は聞いているが、はつきりした場所は解らないと云ふ事でした。そこで再度東区川向いを調べることになり途中郵便局裏の一本橋付近で、石田操がたましていた老人に尋ねたところ「行っても無駄と思う。私は二十年程前に山菜取りに行った時、古い墓を見たことはあるが、おそらくもう建つてはいまいし、そのあとブルで耕しているから地形も変つていようし難しいと思う。数年前村で探したときも解らなかつたと聞いている」とのことでした而しせめてその個所だけでも目で確めお詣りしてこ 〱 聞き、出かけようとしたところ「私も草取りは急ぐこようとその人富山県東砺波郡平村から大正六年白滝に移住した〔人名O〕さん(六七才)から詳細な位置をとではないし、折角の機会だから解るかどうか知らないが、一諸に行つて見ましょうと案内に立つて下さいました寺向いのあたりの雑木林に至つて「私は確かこの当りだつたと思う」と草の根をかき分け乍ら探しましたが菜園の手入れを〔人名O〕さんの得信のある個所は仲々解かりませんでした。時には径五○センチ程の凹地があり「これはお棺の上に間ちがいない、たしかこのあたりだつた」とのことですので「この辺と云ふ事が解れば其の墓標が見付からなくても結構です」と打切って帰ろうとする矢先の事です。蔓草の下を探つていた〔人名O〕さんのカマに手ごたえがあり、刈り分けてみると朽ち果てゝこそいてもまぎれもない一本の墓標が横たわつているのが発見されましためられましたしてその場の雑木に目印をして去りましたが、ときに七月六日午後三時すぎでした川向いの旧道から東方へ約一・三粁米程歩き、祥厳まさに地下の霊から導かれた感がいたしました六、七分通り朽ち「法()明…不明…」の墨跡がかすかに認これを蔓草にもたせて立たせ写真に収めて一同合掌ママ1143第6節 博物館と郷土史・民衆史に学ぶ活動
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