㊞ ㊞ ㊞ 犯であって、現在であれば無罪の人達だつたかも知れない事が解ります、これを考え合わせる時にあたら「囚人」の名のもとに、その墓所すら忘却の彼方へ葬り去ることは中央道路が彼等の犠牲により建設されたが故に、ここに住む事が出来た者の子孫として又日頃その旧中央道路を利用する住民の一人として情において誠に偲びないものがあります及ばず乍ら墓所あとを調べたいと志した由遠であります星霜七七週年、あたかも開発期成会において慰霊碑のことが計画されましたこうした秋、疑問とされていた五二柱の件が明らかにされ、今回は又四五柱と伝えられる墓所が判明した事は、あながち偶然としてすまされない感がいたしま以上所見の一端を相述べ、報告致しますす 殿殿昭和四三年七月七日白滝村郷土史グループ(仮称) 丸瀬布郷土史研究会所属 白滝村長 国松 一敏 丸瀬布郷土史研究会会長 荘田 (丸瀬布図書室所蔵)野村 豊治 石田 操 秋葉 実 富雄 1146第2部 教育 第11章 社会教育
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