北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
1167/1232

資料2は、私立の新幌内礦保育園についての『炭光』記者による観察と保母との質疑応答の記録である。同園は定資料3は北海道立中央乳児院の婦長が、寮で生活する「保母並に看護婦」の余暇の様子などを書いた記録であり、資料4は乳児院保母による乳児院を利用した母子に関する記録である。北海道立中央乳児院は一九五○年八月二六日就学前教育・保育、子育て、児童福祉分野では、公立機関の資料を中心に選定した。その際に、公立機関の動向とともに職員と利用者の状況を示すことに留意した。はじめに一九五○年代の資料を五つ取り上げる。資料1は一九五四(昭和二九)年二月に北海道教育委員会(以下、道教委)が札幌市内に道立幼稚園を設置することを計画し、予算要求したことを示す新聞記事である。道教委の作成資料は今回入手できていない。道教委は一九五二年四月に道立園設置を計画した。一九五五年から六○年まで予算要求がなされたものの、予算査定で削減され計画は実現されなかった。資料から道内の幼稚園増加状況が分かる。当時道内の公立幼稚園は函館市(一九三八年設立)と美唄市(五○年開園)にあった。他の多くは宗教団体による私立幼稚園であった。員一○○名弱であるにもかかわらず、五歳児を中心に三二○名余りを収容していた。一九五○年代の幌内炭鉱地区(現三笠市)の保育所は定員を大幅に超えた状況で運営されていたことが分かる。に札幌市中央区で開設された(九月一日業務開始、定員五○名)。資料3にあるように、最初は無資格であったが務めている間に検定試験で資格を得た職員もいる。例えば北海道立図書館に一号分だけ所蔵確認できる『北海道保育タ解 第一節 一九五〇年代までの幼稚園・保育所の状況と乳児福祉の整備1151解 説   説 

元のページ  ../index.html#1167

このブックを見る