イムス』(六三号、一九五五年一一月一五日発行)に一九五五年度第一回の保母試験合格者が掲載されているが、受験者一六六名中合格者八一名であり、その一人が中央乳児院勤務者であった。また、資料4の保母の記録によると、三○歳前後の母は衰弱した生後二ヶ月半の女児を乳児院に預けた。女児は三ヶ月後には標準近くまで成長した。母は訪ねてきてその女児を抱き上げて泣いた。保母は記録の最後に「小学校までの生長に責任を持てる系統的な、例えば幼児院の様な施設」の必要性を提起している。る。病院掃除婦たちの要求をきっかけに職組婦人部が活動して、無認可保育所が一九五八年六月一九日に開設された状況が記されている。本資料に掲載された「子どもの園のあゆみ」によると、正式名称は「北大職員授乳所」であり、後に「北大保育所 幌市内の保育所で初めてとなる産休明け保育を実践」した。一九七○年代は五歳児幼稚園在園率・保育所在籍率が全国で九割を超える時期であるが、一九七六(昭和五一)年時点で北海道は幼稚園在園五一・三%、保育所在籍二○・五%であった。次に一九七○年代の資料を二つ取り上げる。示している。「ウタリ」は一九六○年代から約五○年間、アイヌ民族を指す語として使用されていたとはいえ、近年では使われないが、ここでは資料に従って「ウタリ」を用いて解説を述べる。調査対象は「地区に一一世帯以上のウタリが居住する集落地区を有する市町村及び当該集落地区」のうち、「一一五地区」である(当該資料一頁)。表によれば「一一二カ所」の地区のうち、集計されていない三地区を除き保育所は二八施設あり、八四の地区になかった。資料5は北海道大学の託児所設置についての『北大職組婦人部ニュース』(第九号「託児所特集号」)一面記事であ資料6は、アイヌ語で「同胞」「なかま」を意味する「ウタリ」が住む「地区内厚生施設」の一九七二年の現況を子どもの園」となった。「国立大で初めて大学が設置した職場保育所」で、一九五九年からは「札第二節 一九七〇年代の保育課題への対策と一九九〇年頃の公立縮小化1152第2部 教育 第12章 就学前教育・保育、子育て、児童福祉
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