幼稚園は五施設あり、一○七の地区になかった。なお別の表Ⅱ―2.「生活館の設置及び運営状況」によると、施設がある地区は七八(施設数は八○)であり、「附帯施設」として「保育」が二五カ所にあった。以上を通じて、アイヌ民族の乳幼児は施設での教育と養育を受ける機会が限られていたことが読み取れる。とめられた。本資料は他に「Ⅰ札幌における夜間保育アンケート調査」、「Ⅲ京都市、名古屋市及び倉敷市における夜間保育の実態」で構成されている。夜間保育は特に都市部で求められ、開設された。最後に、公立機関が廃止、または縮小されていく一九九○年頃の資料を二つ取り上げる。資料8は北海道立保育専門学院(札幌市)の最終年度の学生募集案内である。同学院は児童福祉法に基づく、道内唯一の公立保母養成施設で、各種学校である。一九五〇年九月二○日に北海道保母養成所として設置され、授業は藤学園に委託していた。一九五八年に改称した。入学金、授業料は無料であり、教習手当が支給された。一九九二年三月に閉院した。月に週五日制月二回実施の研究協力校を九四年度まで指定した。研究協力校である伊達市立さくら幼稚園(一九八一年開園、二○一五(平成二七)年閉園)が一九九四年五月二〇日に園児の各家族に配布した文書を掲載しているが、資料中の「家庭の日」については、伊達市では一九九四年二月一二日(第二土曜日)に伊達市「家庭の日」が実施されている。 【主な参考文献】北海道立教育研究所編『北海道教育史 戦後史 幼稚園・保育所の普及とその地域差』六花出版、二○一五年。資料7では、一九七四年一○月に道内各市の夜間保育実施状況、住民の要望や議会での議論の有無、市の方針がま資料9は週五日制の導入と「地域に開かれた」学校運営に関する研究協力校報告書である。文部省は一九九二年五戦後編二の二』同、一九七九年。松島のり子『「保育」の1153解 説
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