がらレース編物、毛糸編物などしている者もいる。何をするにも若い内。私の様に年を重ねてはすべてに気力がなくなり引込み勝ちになるものだ。保育と云うことは地味な仕事だけに彼女等は皆落ちついている。赤ん坊を取扱う時などはさながら母親になつた様な気がまへである。こうでなくてはいけない。以前はボーナスがどうの手当がどうのつて良く口に出した人もあつた。社会福祉のため協力しようと云う人が此の様に打算的であつてはいけない。そして乳児を哺育する人達こそ身も心も良く練れた人でなければならない。其の点今の彼女等は皆献身的であり皆此の域に到達しようと努力している。何と云つても不遇な児を預るのだから。彼女等の中には最初保母、看護婦それも居たがこゝに務めている間に検定試験でそれ格を得た者も大分居る。現在では殆どが資格者ばかり。これも一重に院長先生並に事務長さんの御熱心な御指導に依るものと私の立場としてひそかに感謝している次第である。書き出したら中々限りがない。この辺でペンを〲〲日〱 置き創刊号の一部を埋めさせて頂く事にする。暮れもせまり寒い北風が吹きみぞれの降る頃であつた。A子は若い母に抱かれて乳児院を訪ねたA子の母は三十才前後位で寒いのにオーバーも着ず、うすよごれた毛布に包まれたA子を抱いてしよんぼりと事務室の前に立つ無資格の者ていた。夫はA子が生れてまもなく、行え不明で、そのの資れるまで不安な姿で廊下をぶらぶらしていた、手続も済み医師の診察を終えて、婦長さんにつれられて、A子は特室に入つて来た、特室はあたらしく入院する乳児を入れて二週間、身体的、知能的に観察する乳児室である。A子の入院の生活に疲れきつたと云う顔をして、名前をよば北海道中央乳児院『年報』創刊号一九五四年(北海道立文書館所蔵)保母 日野 恭子 4 北海道立中央乳児院②1158第2部 教育 第12章 就学前教育・保育、子育て、児童福祉
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